2011年8月4日

日立のみち

総合的にみて、三菱とはつきあわない方がよい。これが判断としては正しいと自分は思う。

自分は傍目に事業を見ているという素人の目算みたいなものだが、岡目八目という事も素人の強みという事もあるかもしれない。

 残念ながら今の中西氏は「順風満帆」の経歴っぽく、世の荒波と闇をそんなに深く認識されておられないのではないか、とも思われなくない。はっきり言って、三菱という資本は教育的ではない。出が。自分の洞察が正しければ、今の時点でも大変な将来性のもとにある。かれらは御用達とかいう次元をこえた泥沼をはじめから出立してきたのでありまこと泥臭い裏事情がある。わりと順調に鉱山用の機械修理を発展させ工業品の製造一本で進んできた日製資本とは雲泥の*1。
 これからうまく流れがつけば、どうやら本日づけで締結された水力部門の統合もできたら再び破談になって、日立は多国籍化された単独資本として「鶏口」にもどれればいいのだが。原子力発電部門も(某勝手な首相私見の発表で)世論へこびた人気取り国の行政上でいわれる、規制か管理かという次元での事業存続性そのものへの変更があるかもといった考えが浮かんできてるのだろうが、かわりやすい行政表層の挙動はきにせず、世界市場での為替だけに注目している方が本質的によいのだろう*2。
この毎日新聞の記事では
��関係者によると、将来の経営統合を視野に入れている日立と、一部の事業統合にとどめたい三菱重工の間に温度差があるという。
という。これが真実なら、中西氏の判断は総合的にみてよろしくないということになるきがする。

 特にやばいのは、出からいっても三菱というのは軍事や戦時調達系を平気でやっている事。これは平和部門に集中してやってきた日立の歴史からいっても大変よろしくない相手です。もし組むとしたら、戦後の各実例をかえりみて最終的には何らかの敵からの疑いの目を向けられての日製系のすべての資本解体や、それ以前にもテロリストを含む日立の工場立地一帯への攻撃もありえる。日立駅前の平和像の誓いを忘れたのですか、中西さん。
 おそらく、かれら経営陣のあたまはいまの不安定な菅直人首相のふらつきで何とか「安定した資本提携」を求めざるを得ないといった地点へおいつめられているふしがある。
だが、菅首相個人の異常な好戦性といった精神的資質・人格的問題と、やはり自律して進んでいく資本経済秩序のことはまるきり別個の物と考えた方がいいでしょう。なにも海外へ本社を移せば、国家そのものが本気で政治色上あやうくなったら、日本と心中する必要は決してないのが資本経済下での企業法人の強み。普段から逃げていると雇用流出とかいう観点で、具体的にはほとんど米国資本化されてるソニーみたく割と評判わるくなるかもしれないが、いざとなる前にそれが予測できた時点でちゃんと本社を外へ移した方がいい。いまの菅首相みたいなおかしい行政人に狂わされた国と心中するよりは、その方が人類みなにとっても貢献度が高いのだから。そのばあい条件が安定したらもどってくればいいはなしだ。
はっきりいって菅首相の脳は相当狂っておられ、平気で市場干渉論をしていたり平気で東電へ介入したり本気で極めつけに危ないが、できるだけ相手にしない方向でいけばおのずと縁が遠ざけられ、おのずと民間企業としては安定するはず。何かの偶奇で水力部門は一時的に共同出資の持ち株会社へ、かれらのもっていた財が流れ込んだかもしれないが、それも子会社の動向でしかなく今もこれからも是非とも『資本本体』は完全に他と分離なさった方がよろしいと思いますね。
ある段階からはあの水力会社も、売却してしまえばきっぱり縁がきれる。採算とは別の勘定、超長期的視野がここには必要ではないだろうか。
 相手は裏がやばすぎる。中西氏は割と平和な技術畑出でしかも横浜そだちの浜っこ的気風で行け行けドンドンって感じなんだろうが全然組む相手をまちがえている。たとえば、ソニーと組むとか、ホンダと組むとか、±0と組むとか、コンランショップと組むとかダイソンと経営統合なら、それは私は傍目にみてても程度あれとても歓迎する。無印良品の電化は全部元請け契約締結とか平和的な産業形態なら。まあ今度の件は相手の広報のはためにもちょっと首をかしげざるをえないくらいの不遜な態度を見ても理解できるが、ある段階でグループのどこかから拒否反応がでてくるか株主が忌避するかどっちかで破談になる気がするけど。
 いっときの提携や同盟ならまだしも本格協働やら立場の統合に際しては、つきあいの長くなるだろう協調相手をまちがえてはいけない。よのなかには善人だけ、或いは根の善良な人格だけ、物わかりのいい人格だけがいるわけではない。

 夕方の日テレ系列ニュースevery.(首都圏版)というのでも、かなり偏向報道で三菱よりになってたから裏にはなんか相当変な力が働いてきてるのが、推測ではあるが、自分の肌感覚としてもなんとなくの気分悪さから言ってもまちがいないとおもう。雰囲気が。うわ、これはもしかしてそっち系の悪だくみにまきこまれてしまう、といった先回りの危機感だ。
ああいうちょっとした三菱よりの偏向報道の起こる時点でヒヤリハット事故の一種だと日立系列関係者一同悟った方がいい。東京のマスコミの底は一種の無法状態あるいは絶対権力が内在されているのだから、かれらに‘偏向の目をつけられる’というのは、その時点でもうそっちの手は撤退するくらいで調度いい*3。
 断定していえばたまたま経営統合とかいう次元ではなく、相手が泥沼出身では組んだり吸収したらそれはそれはやばすぎる。仮に大きな会社になれるとかいう話だとしても、はっきり言って彼らなら縁をきるほどよい。自分は傍目の人でしかないが、この旅路では相手の法人格を見抜く必要があるとおもうが。

 なお軍備へいえば、米英資本との協調か統合がすべてだろう。
 おそらく三菱の旧財閥系支援(特に海運)も中西氏の念頭にはあるのだろうが、おそらく『事業統合』という既存のrailが最も双方に望ましいし、結局菱重にとってもその宇宙と航空産業を含むおもな基盤事業体の被吸収に際してprideを傷つけられづらいので、本体である各三菱資本の株価への影響度から言っても穏健ではないだろうか。要するにflying報道したやつがごく悪者だった。かぎりなく企業機密に類した情報なのだから、何かしらぬすみ聴きみたいにして出した可能性が高く、営業妨害罪でばあいによっては刑事又は最低でも民事にして記者クラブ内の当該人物を訴追した方がいい(記事偏見報道への徹底報復参照)。両社の慌てた対応を見る限り、そいつはかなりのoff recordにちかいかたちで漏らしたはずだ。

―――
��1
とはいえ、山口県関係の特定の業深いひとは、買収した鉱山のもちぬしだった某商人へ相当ほまれを感じているみたいだが(あまり信頼のおける情報源ではない寡占管理された落書き場「ウィキペディア」などで記述の傾向を観察していると)。これも政商なる底知れない野心の根深いおそろしさの一つだろう。
 明治維新の際の新政府軍、特に薩長土肥系の野心には注意深い経過と末路までの観察が必要と自分は思う。それらは、なぜならやはりきわめて急いで欧米の模倣を方針としていただけあって何らかの拙速さを伴うのが殆どではないかとおもえるので。
 経営学でも(たとえば松下幸之助の自説でも)いわれることがあるだろうが、「ゆっくり成長してきた資本」と「急成長した資本」はたちというか、その動向がちがっている。わかりやすい例でニンテンドーとライブドアを比べてみればいい。どちらもエンターテインメント・娯楽分野をめざしたが動向はきわめて違って行ったし、今後も違って行くだろう。

��2
なぜなら退陣する予定の菅首相が居座っているだけでは、その菅氏の言葉に信を問う事はだれにもできないのだから。辞めて行った菅氏が責任をとることもなければ責任を問われることもない。その時点で、あれらのパフォーマンスは芸能であって政治ではない。
 ソーラーパネルの増産も、結局口約束なので退任していく菅首相は国民との間で、例によって平気で反故にするはずだろう。やめたあとで追及しても逃げ口上は「やめさせたやつのせいだ」となり収拾がつかない。後任のひとが経済性の十分でない国策を大規模採用する事はまず考えにくいし、採用しない方がずっといいくらいだ。はっきりいって、予備電源をかねた家庭用ソーラーパネル普及の政策的工夫というならまだわかるしやるべきだがメガソーラーは不安定電源にすぎず、足しにはなろうが本格的産業用には使い物にならない。孫正義氏と菅直人首相共通の権勢欲込みの野心にすぎず、特に大きな企業や自治体なら関わるほど損失をこうむる。さらに、いまの菅首相提出の自然エネルギー買い取り法案は拙速の穴だらけ、もっといえばかなりろくでもないもので、結局、発電費用の最も低い大電力会社が儲けるしくみでしかない。発送電分離やら自由化といえばきこえはいいがすでに同様の事業をおこなってアメリカでもヨーロッパでも寡占が進んで電気代が高騰したとか、停電が長引いて使い心地がわるくなったとか、電力会社の選択で面倒がふえるだろうとか。以前からこの網記でものべてきたが、要は孫氏の光ケーブル敷設権欲しさへこびたいつもの浅い菅首相発の人気取り利権誘導でしかない。スマートグリッドは電力会社間の協定とその後の詳細にわたる(つまり部品や実施工事会社の)競争発注で進められる方が、いきなり出自のあやしい成り上がり者への全国の基盤設備の使用権譲渡契約よりずっと安定した、長期的発展にかなう基盤となるだろう。
いまの時点で知事会などでの早期退陣が求められる異例の事態は誠に時宜にかなっているし、一刻も早く合わない職責から菅首相はおりてしまった方が誰もにいいのだろう。自分からおりるきが決してないという点では独裁者の気質なのだろう。
 自分が直感するに彼ら、菅一族には単なる力不足といった問題より深刻な障害とでもよべるなにごとかの悪徳あるいはすさまじい勘違いが在来していると思われる。息子へ源太郎となづけたのは児玉源太郎・満州軍総参謀長にあやかってというわけで、戦略戦略とくちぐせの様に菅直人がいうのも同じ異様な好戦気質がそうさせているはずだ。つまり彼ら菅一族とその傍系に2度と権力を与えては決していけない。菅一族の(かなり近親婚の傾向ある)血は、日本が再び戦火にまきこまれる突然変異的な火種なのが、どうやらいままでの一連の観察からはっきりしている。市場介入を平気でしてくる全体社会主義者ぶりもまるで戦前の人で、まったく最高権力を奪うまでは善人づらで隠された思想とその謀略にみちた心理に於いてやばすぎる人物だったし、これからも注意ぶかく国民や報道が監視していかないと、実際息子を衆議院へ出馬させてるわけだが本当にあぶない。岡山という西の遠い土地に在来している分だけしか救いがない。

��3
彼ら東京系のマスコミが偏向報道をしはじめたら、正不正にかかわらず国内ではその問題への深入りから一切手を引くべきだ。すでに過去の第三権力の多くの横暴をみてきた現代知識人へ誤解はないだろうが、調子にのりだした東京系マスコミ(彼らはよくない意味で日本的なので村八分式に、東京の資本という点で大同小異、結託している)への最善の対策とは、悪魔に絡まれたときの対処とまったく同じ事。一切縁を切り、一切の取材を拒否し、一切の関わり合いを避け、できる限り戸を閉めて追い出し、関係者の一切へまったく相手にするなと念を押しつつ、不動の神へその悪霊退散を毎日毎日祈祷するしかない。彼らからえられる報酬は何もないが、彼らは社会的生命体を死に至るまでむさぼりつくし、何の感謝も反省もなく亡骸としてすてていく。
 東京系マスコミがもちあげる相手は有頂天になりがちだが、実際にはその直後におちぶれが用意されている罠が多い。芸能界と一つながりになっているのだから劇場仕立てにするのもお得意だ。
 これらから、今回の日テレ系夕方のニュース番組every.という放映でもすでにかなりの偏向報道がみられたので、この問題は本当にかかわりあいになってはいけない危険の一つだったと理解できる。草の根の近くの土地にすむ一民間人からの推奨でしかないが、中西氏は政府をきにしすぎる資本経済の原理に忠実ならざる挙動を省られ、某資本との提携や統合や吸収合併などはどうかされない事を。政商ということばは、実際、‘犯罪すれすれの大悪党’の別の言い方である。東京系マスコミは根っこに於いて『外部』の目が届かない範囲で徹底して悪質であり、村八分や袋叩きといった旧来の倭人の風儀を引きずっているので、かれらから不当に絡まれた誰かは最大限の力でふりきってその追随からさっさと逃げ出すしかない。想定できる次善の策は「別の国、特に知識と情報と資本に於いて上流にある先進国へと真相究明の正当な報道をさせる、自主的はたらきかけと透明化した真実の情報提供で真相啓蒙の報道を全世界的規模でしてもらう」ことだ。まるで独裁国家からの亡命みたいだが、実際この外部照射でしか、彼らの村社会的悪業は決してやまない。発祥の初期は特に他意もなかったのだろうが、首都でありつつ政府機関の集積もしている東京へ、本来は権力監視が主目的の自由な報道機関が集積してしまっているのがその大きな悪というか、日本語情報からの囲い込みというか偏向報道と村八分的錯誤の根でもあるのだろうが。
 そうして患部をそとから強い光で照射しつつある期間ある遠い時点まで逃げ切れれば、彼らは単に俗受けする話題をほしがっているだけなのだからおのずと別の話題へうつっていく。特に、ワイドショーのコメンテーターや御用学者は本当に心がないというか金と、東京近辺の平均的俗物の空気に飼われているので、まったくその場その場の世論にこびていくだけの品性卑しい煽り屋であり、一切信用してみてはいけないほどだ。自分は震災直後、みのもんたの出る朝のワイドショーで、被災地の悲惨な様子の直後に特集されたAKBなんたらのすさまじく堕落したなんたら選挙だか最低に下らない話題へ、外国人ハーフみたいなひとと、昔からいる男のアナウンサーと、女のちびまる子ちゃんにでてくるこわい幽霊同級生みたいなひとの3人が、こっちじゃ余震の続く中で放映されたのだが偽善な賞賛コメントでお茶をにごす俗悪その下ない解説にまこと吐き気がしたことがある。この点からいっても「わるさに火をともす」という現代のマスメディアの悪習は、いずれ駆逐され淘汰され消滅されねばならない人類の共通命題ではないだろうかと考えられる。この悪風は、おそらく新聞が登場しそれが商業販売されることになってから、起こってきた不安たきつけ稼業、悪の誇大喧伝稼業の結果なのだろう。その邪悪な火は、もし人類がより賢明に進化する文明を辿ればいつか消されるしかない。或いはインターネット以上の主体的選別できる参加型メディア登場が終局に於ける駆逐艦になるはずだ。あんなものをわざわざ自分からえらんで観る人格はありえない。何らかの理由で気が狂っている、純粋に金目当てのみの堕落者がニュース構成をつくりコメントの質を編集していたはず。