2011年8月13日

未来のこと

遠い未来、星として地球が滅びるのは一つの仮説だがありえる。地球の公転はその遠心力と太陽からの引力が釣り合った結果だが、長い目で大きく見れば公転軌道が次の二点の原因でずれる可能性がある。
��、太陽の燃え尽きで恒星引力が低下し地球の軌道は太陽系の外へと広がって行く。
��、地球そのものが複数の理由からなる摩擦で遠心力を弱め太陽へ落下する。

その他の例外として、過去にも小さな事例はあったが
��、巨大隕石の落下で軌道が外れるか星ごと大破する。

またそれに類して
��、地球内外生物の侵略や謀略で星が破壊される。
場合もある。むしろ、人類の性を見なせばこれが最も確率としては高い気がする。

これらを思い返せば、少なくとも億年単位では地球は安全不動の適所ではない。そこは、もっと巨視すれば仮の宿りというしかない。特定の生物がうまく生態地位を安定させて永続きした記録は必ずしも上位の生物へ多くないから、「人類」が生き残るかどうかは未知だが、おそらくあまり高い確率ではないだろう。
少なくとも恐竜の前例があり、生態的地位の最高位を占めて繁栄しすぎた生きものへは環境の激変でそれまで食べられた多くの必須栄養価が突然とれなくなる、という報いがあるわけ。人類は「道具」を使ってそれまでにない生態圏にも適応するすべを身につけてきたが、この必須栄養価の致命的不足を栽培や養殖の技術で切り抜けたとしても、そういう時代は甚だしい技術資源争奪戦争を経由するだろう。
 要するに、現時点の資本商社会は来たる技術資源争奪戦の前哨戦というやつなのかも。少なくとも大きな気候変動があれば即座にその戦へ我々人類全員が否応なく突入するはず。

 こうして見ていくと、スティーブン・ホーキング氏がいう冗談としての人類の高技術自滅論は、少なくとも食料資源争奪戦としてはかなり現実味を帯びているのが間違いない。それらの技術か工学で、既存の食料生産物がもうとれなくなってからも食料をつくりだせる場合だけ、かなり高い栄養価を必須とするまで贅沢な淘汰をへてきた人類は生存権を未来へ持って行くはず。
 例えば大規模な臨界事故一つでその地域での既存の仕方でつくられた食料摂取は絶望的となる。これらの人工の災いを含む過酷環境でも生き残る為には、やはり「道具」をつかえるという人類の特徴を更に進化させた高い工学の人類が必要ではないか。

 特定の赤紫の、植物が吸収しやすい波長だけを集中して人工管理下で当てた野菜栽培などが実験されているが、いまの段階の文化では何となく忌避感のある仕業だが、もう少し近い未来の人類は何とも思わない筈。我々は、例えばお菓子だろうがコーヒーだろうが完全に機械生産されたものを日常に食事する状態にある。これも慣れにすぎないのだろう。だからかなり近い将来、米や麦や大豆などの穀物類はいうまでもなく、管理された家畜の食肉や養殖魚介類もより高い技術をつかった何らかの人工的工場で行われる事になるだろう。
 もしこれが果たされない、高い技術と縁のない文明がすみかだったなら、きわめて大きな気候変動や天変地異への適応能力が十分ではない為に絶滅の危機と裏腹でありつづける。
或いは国連の枠組みや貿易構造を通して、一国や一文明圏での工学の輸出入がありえる。故にどの文明も同様に生き残りえる、という仮説もあるだろう。しかし、これまでの人類史、そして生物の歴史を見返せばそれは殆どない夢物語ではないだろうか。人類は、そして生物というものはもっと遥かに冷酷で利己的な存在だ、と認める他ない。我々は日常に他のありとあらゆる生物を利用したり実際に殺害して食べているわけだが、一体全人類の内それへ感謝や罪悪感を担って他のいきものへ譲ろうとしている者がどれだけ極小か。
つまり、草食の人でさえ、何らかの有機体である他の生物を消化した力で動くしかない。動物、というのはanimalの面白い訳語だが。結局この人類は、動物たる為にはつねに他の生物へたよっている。
というか、人の細胞そのものが特定の生物としての状態でしかなく、水を媒介としてたまたま結びついて共通の目的(およそ複雑になっていく細胞の分裂と自己複製による存続という)へ向けた活動をしている。この人体細胞群は他の生物体のいろいろをみな利用して摂取したり排除したり改変したりしつつ何とか長続きしたがっている。

 以上をまとめて考えると、人類の長い間の生存率は工学度により、ある閾値以下ではおそらく高い確率である環境変動後の将来、絶滅する(それがいまの先進国で起きている経済社会の競走へ強いえり好みによる人口減退という和平的なありさまを通して徐々にか、それとも他の文化の侵入や戦争や飢饉ほか暴威をふくむ衝撃で急激にかは場所によるだろう)。
そして人類も含む生物種は本性に於いては利己的(たとえば原始のミトコンドリアが複数の細胞をとりこんで生息を保った時代から)なので、かなり似通った同類の間でも常に食うと食われるという連鎖が拡大していき、遂には人種以上の違いに至るはず。
 我々は過去の地球生物史から必ずしも食う側が生き残るとは限らないと知っているし、特に大量絶滅という凄まじい命の瓶くびを経るときにはそこでの淘汰効果は絶大と分かっているので、現時点で様々な人種へ分化している人類には、単なる民族差をこえて決してすべてがそっくりそのまま生き残るなどという未来がありえないとも推察する。つまり「生き残って次の段階の動物へくりこされるのは、本の一部の瓶くびを経由できた人類の特定種類」でしかないはず。そして既存の人類文化の上か、又はその絶滅後、衰退後かは分からないが、彼らは確実により広くほぼ無限な適所をもつ宇宙世界へ出て行く事ができる。

 ロボットの姿での進出というのはよくScience Fictionで設定されるが、自律した複製と分裂をかなりの生物経験と共にくりかえせる機械が出れば、或いは耐久性が高く過酷な環境でも動ける動物の範畴へ、ロボットは入れられるのかもしれない。そして何より、プログラムが優れていれば、且つ神のミームをのせてやれば、人類よりかれらの方が賢いはずだ。「道徳」とか「情緒」といった回路がくみこめれば、ロボットの姿での宇宙進出が人類の姿でのそれより現実味が高い。意識を生むプログラムも近く開発されるだろう。そうなって、人類が既に時代遅れとなってからは、かなり明るい将来像が描けるだろう。