2011年8月21日

水戸以北と教養主義

北茨城あたりで重要なのは、進歩的先進的な学術をよりつよめてつかわすこと。この命題は「人口数」での劣位を個々の所得でおぎなってあまりある手立てとして説明される。

 しかし、高萩市はいうまでもなく日立市やいわき市などとこの命題はかなり共通しているのではないか。地方から流出して都心へあつまってしまう若年人口、というのが基本的な課題としてすべての地方都市にある。
 かつ、少なくともいまの東京都知事の様に過密人口や集積のいきすぎからくる弊害にある程度自覚している者もいる。さらには、この常磐圏でも、例えば現状でいう中国地方の日本海側(山陰道)とか東北地方の日本海側とかよりは過疎さに於いて随分ましな状況にあるともいえるか。

こうして、地域のかかえる社会のばの展望はそれぞれ微妙にことなりながら、場合によっては似たものをもってもいる。
 よって、ある似た利害をともなう地域では行政の分業よりも、おそらくある程度の協調性が有効になりもする。こうして、特に東京都への敵対心や野心から愛知県とか近畿地方(具体的には京阪神の三都市圏)が道州制度とか関西広域連合とかいいだしていたし、後者へは実現してしまったわけ。つまり根っからそれらは権勢欲の顕れといえる。

 総合としてみると、これらのみなもとには太平洋戦後からの世代論でもあるだろうが「経済成長」というkey wordに象徴されるできるだけアジアで覇をはろうとする意欲が在来の日本人、特に幕末以来、倒幕開国側についた西の諸民俗にはありそうだ。
 例えば伊藤博文を批判する声は、むかし長州藩・いま山口県のなかにはほとんどゼロではないか。かわりにユニクロはかれらにとって、東京都に匹敵する企業としてはおそらく誇りではないか(久原財閥への姿勢をかえりみれば)。この種のかたよりは彼らの中からは是正されがたく、そのegoismは資本主義経済のしくみとしてかなりのあいだ肯定されていくはず(少なくともかれらが有利なあいだ)。

この根本義といおうかideologieの源の一つは、この市に重要な関わりのあった岡倉天心の掛け声の政治転用かも。「アジアは一つ」という言葉が行政に、又は商売につかわれると岡倉自身の思想とはズレて、それがあたかもアジアの覇者を当然視する旧来の「日本」思想とかさねあわせてみられる傾向があった。

 しかし、岡倉自身は単に美術、というか技が遠く極東の島までつたわってここが戦乱にまきこまれづらい特殊な孤立の条件のために博物館の様に、すでに大陸でうみだされ失われていった多くの過去の様式をためこんでいる、という観察をそのsloganとしてまとめたにすぎない。
具体的には法隆寺の伽藍の柱のエンタシスとよばれる古代ギリシア由来のふくらみとか(これは花園神社なんかにもみられるわけだ)、水墨画をつたえてきた雪村雪舟などの留学組の古きよき仕事とか、そういうものを西洋美術とはちがう立場で保全していたこと自体、アジア美術の貯蔵庫として希少価値がある、と言っている。なにもアジアで覇を張れとはいっていないから、それはいきすぎであり、むしろ福沢諭吉の様な幕末の外様系下士の深くにあった成り上がりの野望でしかないわけだ。

なにがいいたいかといえば、文化や学術の高下を競うことは一般に(*1)他の地域からの尊敬や見習いをあつめやすい。そしてこの教養と呼ばれ得るだろう能力へのえり抜きが、人口面で衰亡に面した地方社会では最も有益だろうということ。それは、決して‘行政権’や‘商業圏’とかかわりあるideaではない。
 所得と教養の程は必ずしも比例しない、という指摘へは個別ではそうでない例もしばし偶然の機会や特殊な条件(*2)のためにありえるが、統計的かつ巨視的には人口あたりこれは必ず比例している。西洋諸国とアジア諸国の「国民所得:National Income:NI」をくらべれば。
ただ、残念といおうかある偶奇といおうか、近代文明の国家同士は全体とみて人口密度と国民所得は反比例する傾向にある。(つまり貧しい人は人口密度の高い国にくらしている傾向があり、富める人はその逆)。

要は、「人口密度の低さを利点にかえるには、個々の成員の質をあげるために総力をあげて教養を高めさせろ」となる。この命題を実行するためにさえ基礎的理解力がいるというのが難しい冗談みたいな矛盾で、したがって実際にそれができるのは、おそらく有能というか希有な指導者の出現率にかかっている一部ではないか。
 藤原正彦氏が危険思想家なのでまず疑うべきはまちがいないが、『国家の品格』で天才論をぶちあげていたのはいくらか先覚があったろう。この種の突然変異に啓蒙の効果がかなり依存する、というのが歴史にみた格差の真相ではないかとおもえる(*3)。ガリレオやアインシュタインが社会の悪条件のために潰されていれば、近代化を欧米が先駆けた確率も随分低まっていった。かれらが平賀源内の様ななかば無下にされたとりあつかいをうけていれば、とかんがえればなぜ近代の日本があれほど後進の屈辱をへたかも瞭然とする。それは個性を殺すのをよしとした群淘汰からの圧力の強すぎさにあったのだろう。
だから少なくとも常陸圏では、天才・秀才・能才(*4)の出現をできるかぎり最大限にとうとぶ必要がある。おそらく最もこのために有益なのは、褒賞・授賞といった制度だろう。これらが厳密な意味で天才をよぶことはきわめて少ないが(geniusは大抵が同時代の理解の限界をこえているものだから、とおく次世代になってはじめて評価がついてきたことが多い)、最低でも衆目の秀才以上をえらぶ事ができるのは確か。
 そして本質でいえば個人主義の定着が、よりかみ砕いていえば「人それぞれの徹底」がこれらの分業のための専門的特徴を一般的能力よりもとうとぶ習俗として地域をならしていく。

 と同時に、負の天性は大犯罪者とか悪党とか独裁者とかよばれることが多いが、この罰則に気を払う必要がいくらかある。実績はほとんどあげず、政局を優先して4か月被災地を放置した菅直人などはこの種の姿の原質だろう。さらに血が濃くなって源太郎という息子を似た行政に携わらせたがっているが、これらは「罰則」のゆるみを利用してでてきているtypeだと認識していい(*5)。
 だから少なくとも市政、そして通常の県政の範囲で、あるいは関東圏をこえてできれば県北か常磐一帯の自治法の域で、負の個性へは罰則を強化すべきだ。公共福祉に背く個性はどんな些細な偏向でも厳しく罰をあたえるとりしまりがいる。勿論、ガリレオ裁判の前例をとれば言論の自由・思想の自由といった少数者の人権を守る法益が前提として。

―――
��1
あいての妨害という消極的競争さえしなければ。但し、社会生物学からひけばこの妨害そのものが定式というか常識化される生態もある。
しかし、一般にこの妨害工作は「人を呪わば穴二つ」といわれる様、その為に費やされる労力をさしひいてなお生態のmeritとなるときしか維持されないだろう。
妨害行動の維持される条件:妨害cost<生態merit←妨害cost=生態cost
��:よりおおきい
←:ただし
��:ひとしい
しかもこの適所か特殊な類型への適応は、妨害にかかる費用が高くなりすぎると同時に生態のための過剰な費用として(特にいわゆるrunaway processがはたらいて加速度的にこの意地悪な能力傾向が遺伝子のうえで過剰になっていくと)、ほかの適所への再進出を不可能または困難にしてしまうだろう。我々が僻地でおきる奇形化の前兆として、妨害工作をみるのは基本的には正しいとおもわれる。
 尤も、全くそれがない生態というのも考えづらいわけだが。例えば人類社会で犯罪とか嫌がらせとか極端なとき虐めとか、こういう意地悪が皆無の場がそれほど多くないと理解できよう。と同時にこの種の意地悪種が嫌われたり、必ずしも好かれず、また悪役という名義やレッテルをもつのもわかる。彼らの性格がそれ自体として選択される機会は、およそ「ただ乗り」の個体数の出現率に比例するのだろう。なぜならこの個体群を利用して意地悪によって生じる‘できる個体群’の不利益を横流ししてもらう、というのが妨害工作の本質なのだろうから。さもなければ、自らにさえ不利でしかない妨害が異性間であれ社会間であれ選択される余地はまずない。
 こうして「ただ乗り」を社会にうむのは、それ単体として不合理なばかりかめぐりめぐって意地悪な種をそだててしまう可能性がある。しかし、ただ乗りができる余地を社会や生態がどこかに介在させているかぎり、この性悪な個体群はつねに一定数いつづけるだろう。この推論は、なぜ人類があれほど世界宗教や法的罰則で注意をよびさましつづけてきたにもかかわらず、悪さとそれを頻繁にしてしまう悪者が皆無にならなかったかを説明していそう。要するに、原因として「ただ乗り」が社会のつくりとして生じる瞬間、悪の芽が生えたのとひとしい。だから積極的には「ただ乗り」がしえない社会構造をつくりなおすのがよりすぐれた個体をはぐくむにはつねに有益にして有徳なのだろう。

��2
ただし大都市圏へはこのかぎりではない。つまり大都市圏では例外として、所得と教養が正比例しない。
訳は、おそらく商圏の中枢にあるため高い消費が前提とされる生活と地価ならびに物価の高さのため。これは生活程度と比例しないのに注意がいる。過密な商業都市条件は所得による人口扶養力を相殺する。

��3
では何が才能をはぐくむか。これはめずらしさに関するかぎりは異系配偶の正の効果(つまり公共福利についての遺伝的選抜)に、ほか単なる基本能力へは習性にともなう同性間社会競合的かつ異性的選択の効果によるだろう。
特に最後の効果はアメリカなどでは同性婚という自然繁殖不能な例外がみられるが、それですら性別が役割分業の効用にもとづいて要請する才覚をのばす社会的誇示の為に浮動した姿にすぎないはず。結局、「男らしさ」「女らしさ」が何らかの類型をともなって連続的に遺伝選好につながる恒常さが最も長期にわたり基本的な天性への傾向をつける。なぜなら少数派は変化をつけることはあっても標本の母体数になりはしないのだから、それらのcoupleの質は多数派を占め得る条件外ではただの社会的誇示、多くは反逆や反抗を伴って個人生活に埋没するための、となる。
 だからひとことでいうと、習性のよさ、をふくむめずらしい異性とのつきあい、がその地域でとうとばれることこそ素晴らしい。くわしい習性のよしあしはおよそ社会のもつ趣味の問いだろう。我々がうわさによってひろくおこなっている各家庭やその血統への選別や評価はこれに該当するために、仮にその個人差の守秘性をいくらか見透かす部分があったにせよ(これはprivacy権と時にくいちがいをきたすので厳密な意味では「おもいやり」や「倫理的限度」に伴う個人の自由に属する行為だが)、社会からの淘汰の力としては少なくとも善い趣味についてのそれは有益といわざるをえない。
高い趣味が重要とは、交際に関するかぎり真だろう。それが劣るばあい、負の才能、つまり人類やかれらをとりまく諸生態へ悪影響をおよぼす才能へもえらばれる余地を与えてしまうことになる。だから我々がもっている「批評:critic」の能力は、もし定住にともなうかなり共通の利害集団との社会淘汰という意味でなら飽くまで有用となるだろう。
 例えばこれがさほど機能しなくなった‘隣は何をする人ぞ’な大都市圏とか、あまりにひろい大陸やひさしい交通の要所のため同じ住民や同じidentityの個性への評価がなりたたなくなった居場所よりも、規模の功利かその他の個人特定の工夫で趣味へのえらびがはたらきつづける所での方がいい才能が羽含まれ易いだろう。
北茨城市でいえば天心記念美術館や、市美術展などはすでにあるこの繰り返しはたらく趣味へのえらびにつながるよい機能といえる。同様のしくみを、社会にひろく至らせるといい。投稿された俳句を実名で公開していき(有償無償で)報償するとかもこの一つだし、市民栄誉賞みたいなものを複数もうける、あるいは市内在住者か関係者についての雨情記念賞みたいなしくみで童謡その他の学術文化のよき発展へ寄与した証拠をとりあげるなども。
そしてさらに有効なのは、できるかぎりひろい交際をともなって趣味を選択していくということにあるはずだ。4万人に出現するtypeは40億人の中のそれよりすぐれている事がまれだろう。
したがってこの対象者の選考は(定住にともなう社会効果がみられなければ無意味だから、市内に関係か少なくとも定着した記録とひきかえになるとしても)ひろく世界から行うとよりよいだろう。

��4
これらは漱石『文学論』の才能の分類による。能才とは時代を機敏によむ能力の才のことで、生まれつきの天性とか、学習のよさとかとも異質とされている。いわゆる現代語でタレント:talentというのがこれだろう。

��5
その程度のひどい公共心の欠如は、少なくとも利他系の政治社会で長続きできない為に遠からずsect化してさらなる災いのたねとなりそうだ。監視や、場合によっては我々の地域からの排斥か厳罰、又は(危険な策だが、少なくとも一時的)懐柔がいるとおもえる点。
 菅一族のtypeが政治界ではいずれ除去される、というのは疑いがたい。国民を犠牲に肥え太る、そしてその責任を転化する、という能力は独裁者の型だから。しかし、それまでは少なくとも日本という単位ではこの形質が猛威をふるう域で災厄がひろがる、とはいえるだろう。
例えばヒトラーはよく独裁者の典型としていわれるが、彼がドイツ国民へ与えた利益とひきかえに、ユダヤ人への虐待と敗戦でかれらは国際的汚名をこうむった。或いは昭和天皇も形式上で同じ。彼らの行いはアングロサクソンや他のヨーロッパのラテン系民族の植民侵略の非人道さをあばきたてた。
ところが、原理としてみれば日本とドイツの後進さが人道の罪について負担のおしつけがわりにされた、ということだ。さらにいえばよりうまいやり方で、傷つかずに植民侵略の中にひそんだ非人道を断罪できたはずなのだからこの役割のただならぬ損失は単に劣った指導者の失敗というしかない。
要は独裁の気質(と、それへの選択のなれ)はこの行政上の意志決定の遅れを及ぼす為に不幸の源なのだ。究極でいえば、君主あるいは王と独裁者あるいは僭主の違いは「公共心」が「利己心」よりつよく大きいかどうかだ。
公共心>利己心→王
公共心<利己心→独裁者
��:よりおおきい
��:よりちいさい
→:ならば
この公共心には利他心が含まれ、しかも最大限の他者にとっての利害が可能なかぎり平等に含まれる事を要する。
 ドイツと日本の君主がともに敗退したのは、特にかれらが自民族中心主義を高揚させ(さらにいえば昭和天皇の末裔自身は様々な断片から否定したがるだろうが、帝国憲法にさえ日本民族という概念が国家神道という特定宗教とむすびつけられてあるのだから通らない)、ほかの民族体との連携をうしなう事になったのにもかなり依存しているとおもわれる。少数派単体での奮闘でなしえる政治などかなり限られてくるし、基本的にはクーデターのかたちをとるしかない(例えば幕末の薩長土肥と特定公家の連携)。こうして長期にわたる行政圏の安定をえるには、単なる権力闘争上の覇権にともなった公共心の肝要がいるのだろう。
この才覚が欠けていながら小規模の権力闘争にのみ能力をもっている人物は、独裁者気質として悪評の源になるわけだ。我々はおとなりの民族からは目の敵にされている伊藤博文や昭和天皇、内政では古くは明智光秀に裏切られた織田信長や内乱で島流しになった後醍醐天皇をあげられるだろう。
政治家の評価には難しいというか常に完全ではなく時代柄により二分されえるところがあるが、長期間の評価は比較的安定していると仮定すると、公共心のよさを実際の権勢として発揮した彼らだけが名君となって評価が定着すると考えていいだろう。徳政に特徴ある水戸黄門や公平な裁決の松平春嶽の定評、例えばアメリカでいう独立宣言起草のジェファーソンや植民地状態のインドを消極的抵抗で独立させたガンジーへの評価はここからくる。
これらの気質差は、政治の才がもし選択されるなら権勢欲つまり野心自体へではなく、公共心を実践できるそれ(少なくとも公共心を伴った権力闘争の強さ)へのもののみが正しいのだろうと教える。ナポレオンやチャーチル、又はトルーマンや秀吉は見る側によって評価が完全に相殺されてしまう傾向をもつ。これらの権力闘争のみの才能(ここで「鬼才」と定義しよう)は、かなり長い目でみると多分、きわめて強い公共心を発揮できた才能のかげにかくれて見えないほどの光になるのだろう。比べて、強い公共心を実行にうつせた政治家は「英才」とよぼう。
 もし以上の推察が大枠ただしければ、後世、徳川慶喜やワシントンは英才として、西郷隆盛やブッシュは鬼才として評価されていく。この長い目、すなわち正史を見る目は英才育成へ最も必要な教養ではないか。(水戸学はその働きそのものが正しい。よって少なくとも政治の英才教育の為には伝統として維持すべき上等な風儀である)。
我々が例えば司馬遼太郎の小説史観を鵜呑みにしたり、このたぐいの紫式部からきている物語史観を信じ込むのはきわめてよくない習癖だとわかる。それらは娯楽したてにごまかして、史実とことなる伝承の脚色を通してあやまった偏見をあたえてしまうからだ。
自分がしるかぎり、西日本一帯と、特に近畿、そして東京都の皇族関係の居場所にこの風習がつよくある(おそらく司馬遼太郎と、紫式部の影響がとてもつよいのだろう。あるいは、もしそれらが正確なら、さらに平家物語のかたられたとされる鎌倉あたりにも、自分は見聞きしていないが実際に少しあるのかもしれない。且つ、まだ歴史的確証にはいたっていない文化史学だが、鎌倉文士というもののきっかけは、琵琶法師へ浪曲をおしえたのがもともと公卿間の卑劣な誹謗中傷の出世競争をおりた人物(信濃前司行長のちの行長入道)だった、と『徒然草』に記録がある:第二百二十六段。いわく些細な正誤の揚げ足取り(中国故事にいう「年頭月尾」に多少近い話で、7つの内5つまでしか暗記していなかったという部分をからかわれた。科挙の弊害か)、がその京都の風習からの離反の原因だった。それは哲学でいわば形式の止揚として、敗残者としての平家にあった勇猛の徳をあばく物語を、当時の片田舎であった鎌倉の武士側の古都から語らせたふしがある)。
これらは視野を狭窄にし、ある主観的偏見で歴史観をゆがめ、世界の常識や良識を別の奇形な風にかえてしまう習性で、決してすぐれた人生の態度ではない。
 最も根本では口語伝承にともなう女系の風儀なのだろう。しかし、我々はこれと少なくとも縁をきるべきだろう。歴史を冷たく静かにみかえせば、口承にたよっていた原住民はみな、文字伝承による正史をしっかりと理解できた文明民から結果として駆逐されたり実際に劣位に置かれたりしてきているし、今後もそうなるはずだから。日本語話者の少なさも、かれらの口承があまりに土着であるのに由来した奇風の為なのが確か。
 特に水戸のひとがつよくもっている(とされるし実際に、自分の非かもめな経験則としてその傾向が多大にある)「筋」を重く視る理屈の態度は、結局、長期間ではきわめてすぐれて正しい習性であり特徴となる。それを失うべきではなく、少なくとも地域の風儀としては強化すべきでしょう。この推論能力は学識をこえての転用にも十分な可能性がある。