敬天(または敬神)・愛民・尚武は藤田東湖の唱えた倫理学の3概念で、1845-1847(弘化2-4)年に書かれた『弘道館記述義』にくり返し現れる常陸国統治の理想だ。
また彼は同著で「好生愛民」との言い方で、生物への愛も貴人のもつべき徳と語っている。
西郷隆盛が明治時代の1890(明治23)年になってのち「敬天愛人」といいかえ、心酔し師事していた藤田思想を『南洲翁遺訓』で援用しているのが事実だろうし、中村正直も西郷よりまえの1868年(明治初年)の『敬天愛人説』で同語彙をキリスト教と水戸学に由来する共通部分としてやはり援用していると考えられるが、概念および語彙として元は、幕末期にすでに広く人口に膾炙し、学校の教科書に使われていた藤田の倫理学説だった。
海外諸邦文物尤備者莫西土若焉西土教亦一以孝為本、自厥國王以達於庶人、但若國王則又有所謂敬天事上帝者
拙現代語訳:
海外の色々な国々はとりわけて文物を幅広く備える者がなくとも、もし西方に西方の教えがあればそれはまたおやおもいをもととしているでしょう。そこの国王から庶民まで、おのずと天を敬い、上帝すなわち神や天子につかえる者であるはずです。
――藤田東湖(藤田彪)
『弘道館記述義 上巻』(1845-1847(弘化2-4)年成立。引用元は1883(明治16)年5月、小川活版所、5ページ)
上之人以好生愛民為德
拙現代語訳:
生きものを好み民を愛するのをすぐれた人は美徳とみなします。
――藤田東湖
『弘道館記述義 上巻』(同7ページ)
神皇經綸之迹、以後世之名述之、則其要有三焉、曰敬神、曰愛民、曰尚武
拙現代語訳:
神代の皇帝の統治事跡として、後世でも名を述べられるそのかなめは3つほどあります。一つは神を敬う事。一つは民を愛する事。一つは武をとうとぶ事です。
――藤田東湖
『弘道館記述義 上巻』(同9ページ)