2024年4月3日

学費・生活費無償化を目標とする茨城県内全国立大の私立化策

東京や山背始め、大学が集まっている地域では名門大学の愚者や悪人の愚痴を、低教育歴の賢者や善人の英知より優遇するとの認知不協和低減の為の差別が罷り通っている。このため膨大な社会的無駄が生じ、その不経済ぶりは完全に公害級になっている。学歴差別をもたらす教育制度は一般に有害なのである。
 重要なのは知徳技自体や知性、徳性、感覚などの能力だけである。教育歴が形骸化していれば全く意味をなさない。寧ろ教育用公費がかかる分だけ、公害な無能の証でしかない。だから学歴差別を制度化するいかなるものもなくさなければならない。また学歴信者は人生単位で必ず損害するだろう。

 京都市は学生街として衰退の一途を辿る。それは教育産業の総社会収支が負な一証だ。賭博より少し位はましな暇潰しというのが大学教育の経済実態で、単なる学術研究自体と分けて考えられねばならない。
 寧ろあるべきなのは教育の自由競走で、発達支援に最適な技組みを自ら選べる学習費の低廉化である。

 主に大学教育は学費収入が目的の商売で、偏差値入試の難易度などで銘柄化する事により、学位の箔を売り物にしている。だがこれらは無駄の制度化にすぎない。
 大学法人自体が別の収入源を確保できれば必ずしも学費をとる必要はないのが明らかである。学位販売業も同じく研究者の誤用や酷使にすぎない。

 茨城県の全大学はまず米国の私大に倣い、院生に生活費を与えられるよう投資や寄付など別の収入源を探るべきだ。次に、学生の学費と文化生活費も大学側が無償拠出できるまで、損益計算書で公費収入除く収益を極力正にしなければならない。大学法人の自助努力を促すべく県内全国公立大を私立化すべきだ。