2013年5月17日

茨城県に必要な文教主義

 茨城県の総合的原則として、住民ひとりあたりの所得水準を全国1をめざしてあげていくべき、ということはいえそうだ。ただし、この所得がかたよって存在している状態になるのはわるい。重要なのは「ひろく万遍なく、茨城県民全員が所得水準をあげる」ことだ。茨城県といえば全国でもっとも所得がある地域、となることが理想といえる。幸福度をあげるというもっとも基本的な世づくりの目的にもかなう。
 このためには人口密度を抑制しながら、その教育・教養水準をあげることがおそらくもっとも重要だろう。教育水準と所得水準は、巨視的に比例している。いままで、教育・教養の水準は逐次的な一体一対応性がみられにくいことから「実学」あるいはpragmatismという概念をのぞいてこの観点で理解される雰囲気がすくなかったが、先進国のひとりあたり生産性とほかのくにぐにのそれを比較すればわかる巨視的対応性がある理由は、実はひとりひとりの一生の期間にどれほどの蓄財的な家計行動をとりえるか、という生涯賃金の問題と直接関係しているからだ。この蓄財のみをみれば、「浪費をせず、かつ、効率的に身代をかせぐ」という勤倹性が、実質的にはおおまかにその個人の知的段階とひとしいことをしめすといえるだろう。ここにはたしかに厳密な対応性がみえない様な場面もあるが、それは例外的なことが統計的にみなせる以上は、utilitarianismあるいは政治的視野から上述の公理は採用される。
 人口密度をさげることは都市化にともなう公害や健康性の低下、犯罪率の増加あるいは商業化による停滞といった負の側面をすてさせる。人口そのものは、首都圏が東海第二原発という超危険施設を致命傷をおう前に廃止すれば増大しつづけるから、単に都市圏人口を分散させることが必要になるだけだろう。宅地造成のまえにまず交通網を計画的に利便化すること、そして人口集中度につながる中心都市のドーナツ化現象をさけるために、都心部にはたかさ制限や大規模都市公園などを順次に整備してその中心街の人口比を人為的に抑制することが有効。県都水戸に関していえば、LRTや地下鉄などでの市街地の人口集中のさらなる分散と、偕楽園の拡張がさらに人口集中度をさげるために役立つだろう。