2016年6月11日

旧水戸学と天皇家の分析

 慶喜公の禅譲という聖断が長い目でみて、薩長土肥ら西国の経済的自滅と関西の自業自得の没落を結果したのが明らかである。天皇家の得意な武家を同士討ちさせる陰謀で、島津と混血した天皇一族は徳川一門と彼らを指示する民の領地を侵略した。ここからわかるのは、天皇は本質的にマキャベリストに過ぎず、権力を血族で延々と独裁する事しか頭にない帝国主義の権化ということだ。そして捏造した作り話、疑似科学による祖先崇拝の神話で関西人達を洗脳しきっている。奈良の宗教権力を一手におさめ天皇と中国語で名乗った暴力団一族は、縄文のもつ素朴な自然崇拝を破壊し、弥生式すなわち侵略してきた百済風の人工の社で民を騙した。この暴力団一家こそは中華皇帝あるいはイギリス王室を模し、独裁体制を名目的なものに偽装しつつ、天皇家の繁殖と最大限の贅沢、そして手段を択ばぬ地位の維持しか考えていない。茨城あるいは常陸の歴史は最低でも人がやってきて3万年以上、地形ができてから5億年以上の長さがある。そこからみれば、下らない自己中心的な嘘をかきつけ民をあざむきながら独裁者として侵略軍をおくりつけてくるばかりだった天皇家などは、まことに新参者の、しかも大多数に縁遠い人でしかない。徳川氏もその意味では新参で、こういった武覇をなした人々は少なくとも政権から去った。それが常陸の歴史だった。
 結論できる事は、天皇一門も所詮千年程度の独裁者としての経歴しかなく、遠からず滅ぶだろうものにすぎず、旧水戸学に於ける神道教義は単なる武覇の理論だった、という事だ。茨城は天皇という奈良の独裁一族に侵害を受けた第一の地域である。