2016年6月11日

茨城地域主義

 天皇中華思想という関西や東京を毒している桎梏を超越的に無視する事が、今後のわが県の第一義でなければならない。
 茨城すなわち常陸は世界一の国を目指し、いずれ日本から独立する事を大前提に、単独で世界一の経済、学術、政治を実現する様、ひたすら自分より優れた地域から学び続けるべきである。
 国内に関して我々より経済力の低い、西日本のほぼ全ては先ず意見として容れない事。西日本の23県のうちでわが県より経済力のある地域は、福岡、広島、兵庫と大阪の4県しかない。原則として、これらの地域以外の偏見は眼中に入れなくてよい。また東日本の23県のうち、茨城より経済力の高い地域は千葉、埼玉、東京、神奈川、静岡、愛知の6県しかない。西と東をみてわかることは、西19県・東17県の計36県の無知に由来した、身の程しらずの中傷は原則無視し、わが県より経済力の高い地域の商業に関して我々より優れた点を学び取り、しかもそれを我々の県風にあうよう改善して用いることが必要だ。勿論、各地の商慣行に付随している欠点や汚点はさけねばならないが。たとえば悪徳や犯罪すれすれの商業活動で汚く儲ける、という通俗的で下卑ている大衆社会あるいは労働者社会の特性が東京、大阪、愛知等にはあり、千葉、埼玉や兵庫は他の都市圏に依存して商圏を形成している。これらは避けられるべき欠点であり、有徳で犯罪どころか公益になる商いに従事、あるいは茨城県内での企業活動に基づいて事業を行う、といった方へ改善していくべきである。交通網とか、都市構造などの経済合理性に関しては、わが県らしい美質、美しくも崇高な自然や偉大かつ雄壮な田園との調和や最古の縄文・前石器から続く悠久の伝統との関係などを汚さないように工夫しながら、どんどん他県あるいは他国で成功してきている事例を真似るべきである。
 学術に関しては、つくばに科学の集積地、そして今後は北茨城(将来は日立に編入されるかもしれない)に芸術の集積地、水戸に哲学の集積地といった各産業の集積拠点をつくっていくべきである。その際にも、芸術祭といったたぐいの一瞬で失われる祭りに金を費やすのはどぶに捨てる事であるから絶対にやめ、蓄積するほど福利が得られる種類の事業へ確実に投資しなければならない。もしその様な祭りをやりたいのなら、作品の永続性が確保され、わが県どころか世界人類史の遺産となるよう保全可能なものに投資あるいは該当作品を購買し、原則としてわが県で現に暮らす、芸術家自身をもちいるようにするべきだ。それも既に生活が可能になっている人より、まだ無名で、生活ができていない人々を。芸術を奨励するとは、結局のところ、その地域の芸術家が十分に生活できるようにすること、すなわち県民自身が自県あるいは自分の市の芸術家を励まし制作費をあたえ、それどころか積極的に彼らの作品を購買し、褒めて評判にしみなで受賞させ、できるかぎり多様な芸術家が生活に十分なお金をもらえて大量に暮らしていける状態にすることにほかならない。
 政治に関していえるのは、現時点で田中章雄の陰謀で煽られた愚劣な東京マスコミが盛んに茨城へ魅力度差別を行っている事を巧く逆利用し、優に8割を超える茨城の県民の生活満足度と誇りを啓蒙しあおりなすことで内外差別化を激しくしていくべきである。即ち郷土愛を啓発し、茨城地域主義を県民の政治思想の中に最大化するべきである。この種の内外の政治意欲の落差が巨大であるほど、わが県の政治力が強化されるのだ。いばキラTVや県民向けの広報等で茨城の美質を啓蒙し、しかも田中章雄のような外道に騙され県外民がわが県を誤解し、悪意をもてばもつほどに、わが県の政治的結束は高まる。天皇を通した外交、あるいは日本国への忠誠といった時代遅れのかんがえをまったくなくし、現実の茨城県知事がわが県民の最高権力者であり、それ以外の権威一切を認めず、しかも他都道府県はじめ日本国という外部組織からの不都合な干渉を最大限になくしわが県の発展に益する場合のみ日本政府あるいは他地域と少なくとも協調する事が、延いては我々県民市民1人ずつの政治地位を高めるのだ。その際にもわが県に不利あるいは不義をなすりつけるきらいのあるあらゆる悪意には断固として抗い、毅然と拒否する勇気ある県民をつくりあげねばならない。それが郷里を敬う魂、郷土の仲間と家族らをいかなる困難の前にも守り立てる茨城人の矜持、常陸国の独立した地位の威厳というものであり、どれほどまでも退廃した悪意と愚昧に染まった日本国民からも、それどころか他国一切にも触れられない、真の栄位なのである。