現在の京都府は以下のリンク先記事『リニアを京都へ』にみられるよう、
http://megalodon.jp/2016-0612-0524-09/kyoto-linear.com/news/about_linear
双京構想の実現双京構想とのたまわって東京と京都で今まで同様の中華思想的な独裁、地方蔑視体制を続けようとしている。だがこの構想は全日本国民の平等な地位を確保しなおすためにも、悉くくじかねばならない。それどころか、皇族を国政から追放し、慶喜家のおわす茨城において慰霊の為に家計独立させねばならない。国税に寄生した宗教家が独裁する国が不健全で前時代的なのはいうまでもないが、全県は県で統一、京都は山城県、東京は江戸県、大阪は河内県へ改称させ、他県を名称で格付けするような態度で門地差別できなくさせるべきである。現役の御所があるのは,京都と東京だけです。日本の大切な皇室の弥栄(いやさか)のために,東京だけでなく京都に皇族の方にお住まいいただき,東京と京都が「双京」として並び立ってこそ,日本の未来を拓くことができると考えています。
http://megalodon.jp/2016-0612-0524-27/kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/189/0002/18907030002017a.html
また『第189回国会 内閣委員会 第17号』にある様な、京都側の地方蔑視の為の陰謀は是非とも国民が諸手をあげ挫く必要がある。
○泉委員 こういう集積があるということで、やはり京都、これからも真剣に文化庁の移転については考えたいと思います。
これは当然、国会対応等々は、残る部分は残ったらいいと思うんですね。ただ、本体ですとか部署によって例えば移動できるものというのはたくさんあると思います。そういったことも含めて、ぜひ、関西文化圏ということで、我々も取り組んでいるのもありますので、京都を拠点にしてこの活動は今後もしっかりと取り組んでいきたいと思います。
最後に、宮内庁にきょうお越しをいただいておりますし、官房長官にもお聞きしたいんですが、双京構想というのがあります。
この双京構想、やはり京都は皇室と大変ゆかりが深いところであります。そういった意味では、年二回の園遊会の一回は京都で開催していただけないかというふうに思いますし、さまざま、かつて明治まであった行事、例えば五節句、こういったものについては、今はなくなっているわけですが、そういった宮中行事をやはり京都の中で実施していただくということを私はぜひお考えいただきたいというふうに思っております。
例えば、東京の皇居を清掃すれば、たしか御会釈というんですか、陛下がお姿をあらわしていただくような機会もあると伺っておりますが、京都御所にもそういった清掃の奉仕団というのがございまして、そういった方々と皇族の方々が京都で、例えばそういった形で少しでもお姿を見られるですとか、いろいろなことが考えられると思うんです。
ぜひ官房長官、この双京構想について御理解をいただいて、そして何らか、宮中行事を京都の方でもやっていただけないかというふうなことを最後に質問したいと思います。
○菅国務大臣 双京構想については、京都の行政、経済界、大学等の関係者より提案されている構想であって、皇室行事の一部を京都で行うなど、それによって皇室の方に京都にもお住まいいただき、政治経済の中心である東京と歴史文化の中心である京都を相並び立たせることを内容とするものであるということは、承知をいたしております。
そういう中で、園遊会また宮中行事というのは、いずれにしても、これは、天皇陛下または天皇皇后両陛下が催しになります行事でありますので、まずは間近でお支えをしておられます宮内庁で検討すべきことであるだろうというふうに思っています。
また、京都は、皇室にとって父祖の地であり、歴史的な結びつきが強いことから、天皇及び皇族の方々の京都府へのお出ましも、他の都道府県と比べて非常に多いということを承知しています。行幸啓等の際の御宿泊所として専ら用いられていました京都大宮御所も、耐震化工事が本年三月に完了したということでありますし、さらに京都への御滞在の環境も整ってきているというふうに理解をしています。
そういう意味で、今後とも引き続き数多く京都にお出ましになられるのではないかなというふうに思います。
これらのあしき陰謀は、京都と東京という2地域が、天皇という奈良出の独裁血族の宗教権力を背景に全国民を見下す為の中華思想の産物にすぎない。我々にとって重要なのは、全国全県の地位の同等化である。そして帝都水戸の天皇政をさしはさまない全知事らの協議による新国会こそ、慶喜公の目指していた諸侯会議による全国共和政治なのである。
この新政体にあっては、京都すなわち山城や東京すなわち江戸の文化だけをもちあげたり特別扱いすることは厳に慎まねばならない。全ての県は先史時代から続く独自の文化多様性を持つ。そしてそれらの文化は、天皇一族という独裁者の権威付けだの洗脳力だのとなんら関係なく、独自の意義と尊厳を持つと定めねばならない。