魅力度報道にみられる東京~西国で起きている現象は一言でいえば、商業化である。大規模な商業化に対して適応的な人達を上位者につけ、商業化に適応していない人々を下位化しようとする利己的な悪意である。この悪意は上位につく事ができた人が、商業化されたマスメディアを通じて下位者とみなした非商業的な位を差別し、蔑視し、侮辱し、誹謗し、確証偏見による汚名を与える、という中華思想的・京都的な悪業をもたらす。
この悪業の目的は搾取による権力強化のみであり、道徳や善についてはこれら商業地の商売人、都会商人の目的では一切ない。寧ろ大衆を煽ったり炎上させる事で金が儲かるならいかなる悪行も平気で行い、時には政府に干渉し法を商売に有利で民衆に不利なものへかえさせようとさえする。
既に以前の記事(『西日本の分析』)で解説したように、東京から中部を含む西日本は主にこの商業化に対して平伏的な意図しかない。仮に反抗しても薩長土肥に見られるよう暴力による場合、及び京都にみられるよう天皇を利用したもの、そして愛知や大阪にみられるよう金権を利用したものである。東京都は金権政治を是としており、蓄財による権力独占を志向している為、東京以西のすべての地区に道徳や善に関して親近的な意図を持つ地域はおよそ皆無である。そして東京以西のすべての地区では多数決を是とする民主主義と、天皇独裁や天皇下での軍部独裁を目指す神道原理主義が跋扈している為、商業化された大衆洗脳をも是と見なし疑う余地がない。
従って東京以西の大衆は商業化を脱却する目的も意図もない。果てまでも田舎、つまり田園地帯を辱め、貶め、生産地を侮りつつ徹底的に搾取しようとするだろう。この人々を仮に西国商業衆愚、弥生衆愚と呼ぶと、この衆愚が目的としている事は強欲、貪欲、傲慢である事が理解できる。その手段となっているものが衆愚化による大衆商業であり、また権力の独占独裁による世襲化である。弥生衆愚を突き動かす利己的衝動はかつて天皇、皇族、公卿、公家、そして旧華族の中で薩長土肥系の世襲政治家がやっていた二極化、上下階級化を、朝鮮における両班と中人・常人・賎人、或いは士農工商の様な身分差別のように、商業地(都会)と生産地(田舎)という地域差別を含めて広めたい、という悪意なのである。
また弥生衆愚の思想は勝てば官軍、弱肉強食を狂信する態度であり、松陰や西郷・島津にみられるような侵略主義と暴力主義、マキャベリズムへの堅固な妄信である。西国衆愚の中で原爆投下が正当化されないのは、この侵略暴力主義的な帝国主義が「敗北したから」であり、侵略戦争としての戊辰、日清、日露戦争自体は完全に正当化されている。弥生衆愚はこうして、搾取の罪、階級差別、地域差別の悪を疑う余地も基本的にまったくもっていない。上述のよう弥生衆愚は利己的・害他的・有害的な行動規則を信奉しているのであり、2800年に及ぶ弥生人らの侵略行動の全記録を省みる限り、この利己と害他の文化傾向を改める事は未来永劫ないであろう。この事実は天皇家に関しても全く等しい。天皇家の行ってきた全洗脳は、すべて利己の為のものだった。天皇家に利己である行動の集合はその他の人たちに有害な集合を常に含むのであるから、弥生衆愚の行動原理をそのまま持っている世襲の独裁血族であり、彼らの目的は、極論すれば周囲の人々を奴隷化する事に過ぎない。
成すべき事は、全ての地域の全ての人々が等しい権利、等しく尊重される立場である状態の統治であり、しかも商業において生じた格差を政治が調整する様な善徳の政治であって、マスメディアにおける公平な報道、偏見や差別のないメディアや言説の使い方、大企業や株主、世襲政治家の利害損得に関わらないジャーナリズム、ジャーナリストの良識的な啓蒙であって、しかも階級化やその安易な固定に対して反対を表明する事である。また高貴高徳な隙間産業の追求でもある。現状、弥生衆愚は全てこの逆の悪政を行っているのであって、しかも、九州地方の出生率が相対的に高い為、この商業的な衆愚政、暴政への悪意はますます強まっているのが現状だ。天皇家の周囲にたかった安倍家、麻生家などの皇族閥は階級化を悪意をこめて推進しており、虐げられる貧困層は絶望し、革命や改革すら諦め、それどころか最低賃金で奴隷化され、インターネット上の匿名掲示板やSNSでも荒廃した衆愚から虐待を受けて時間や考える自由を奪われ、マスメディアに受けた洗脳を解く事もできず、寧ろ悪意で自ら洗脳を促進し弱者を虐げる有害な言動をまきちらし、最低でも自殺願望を抱いているのでなければ、単に惨めに群れている。東京都民の持っている悪意の全貌、西日本の人々の持っている悪意の全貌が上記の叙述で説明された。そして為すべきなのは、弥生衆愚の政治権力を打破し、それは旧水戸学を超えて天皇家の打破も含むだろうが、調整的な公徳による善政と質の高い公平で啓蒙的な報道、高級隙間市場を開拓かつ確立する事である。但し、弥生人と呼ばれる集団の末裔の人々、西国から東京圏の人々の利己害他傾向の行動規則は未来永劫かわることがないだろうから、この善政には一定の限界がある。西日本の人々は有害な社会に暮らす事を愛しているのであり、彼らの根っからの性悪さはあらゆる悪に対して寛容な社会、犯罪率の高い社会の方をえりごのむ傾向すらあるのであって、根本的に、純日本系の北東側の日本とは全く違うのである。日本と、渡来系、帰化人達の住み着いた西日本がお互いにとって幸福なのは、互いに国を分けて、不可侵にするのでなければ、永久に別れる事だ。天皇家は帝国主義によってこの弥生衆愚的な不幸社会を拡大する本能しかないのであり、脱天皇制の共和国家を弥生衆愚とは別に取り戻す事が、日本の今後のわが国政の要といえるだろう。