2021年2月2日

全学術で最初と最後に置かれねばならない目的

人生ではじめに学ばねばならないのは倫理だ。人生では時が過ぎるほどそれを持つ者と、そうでない者の差は開いていく。
 人生で最後まで学ばねばならないのも倫理だ。人は死の直前まで人として生きるものだからだ。
 これ以外は全て後回しでよい分野である。

 私は嘗て数学が全科学の基礎だとした。しかしこれは科学言語に関しての話であった。
 自然科学、社会科学は、自然言語(数式でない日常風の言葉)を使う場合、基本的にその数学の分野である論理学の文法で記述される。論理的に矛盾する記述は誤りとみなされる体系でだ。

 文芸などで矛盾を含んだ記述があっても、その言葉は飽くまで論理的矛盾とみなされ、やはり数学的認識が全く無用になるわけではない。
 しかし数学は道具的な知識であり、人が作った論理的な思考の方法であり、 それ自体で完結する分野ではありえない。
 こうして数学をその言語の基礎に記述された全ての科学(こと知識 scienceの訳語)は、どこまでも倫理の道具である。

 芸術を「科学を基礎にした全ての技術(工学)」と定義し、学術を「全ての科学と全ての芸術」と定義すると、全ての学術の目的は倫理の完成である。

 倫理(道徳ともいう)は、ここでは人としていかに生きるべきかを、言語などの伝達を使って表した体系を指す。
「哲学」という言葉は、「知恵 sophosの友愛 philos」の訳語だが、倫理に関する思索や倫理思想史の習得を含むので、 全学術にとって「倫理哲学(道徳哲学) moral philosophy」が最初で最後の目的で、真に必修の学問といえる。
 学校教育等で「倫理学 ethics」と定義されているのは倫理思想史の習得の事だが、倫理哲学の真の目的はこれらを前提にした倫理的な思索の完成の方であり、人として、倫理思想史の習得に留まるだけでは不十分である。既存の日本の大学等では、倫理思想史家を作る過程しかおよそ存在せず(哲学科と名がついているが、実態は思想史科)、倫理的思索は私的に行い続けるしかない。