2018年5月15日

茨城遷都論

 日本の都会人はなぜ田舎を差別しているのか? 
1. 低IQ(自己評価過剰。傲慢。ダニング・クルーガー効果)
2. 天皇中華思想(神道原理主義カルトや宮内記者会によるマスコミを通じた都心崇拝の洗脳)
3. 拝金主義(資本主義の狂信)
4. 衆愚政の狂信(多数決原理主義)
都鄙差別は門地差別の一種で違憲、また人権侵害に該当する。上述の4つの訳を思うと、田舎を差別する人達の脳内にある差別意識と傲慢さは全て、反面教師的だという事になる。いいかえれば、
1. 高IQ(故に自己評価過小。謙虚)
2. 共和思想(神道教祖への逆差別(ひいき)を含めいかなる門地差別からも自由。万人平等を前提に考える博愛)
3. 清貧に対する理解または中道主義(資本主義カルトを狂信しない)
4. 正しい少数意見が存在するという事実から、公徳の高い単独者による王政や公徳の高い少数者による貴族政を、共和政同様に善とみなす態度(私利を公益より図る多数決原理が衆愚政に過ぎない事を自覚する)
という4つの態度が、日本の都会人一般より優れている、という事になる。
 まとめると、脱差別には、1. 傲慢→謙虚 2. 天皇ひいき→万人平等 3. 拝金→中道 4. 衆愚政→王・貴族・共和政(正しい少数意見を含む善政)、という思想転換が必要。但し、この様な考え方の転回を日本の都会人一般が直ちになしえるとは思われない。もともと低IQに伴って、傲慢、中華思想、拝金、衆愚という差別主義の諸反応が連鎖している。

 結論としては田舎で都会人から差別されている側の方が賢明であるしかない、という事であり、寧ろ差別主義という不合理な考えをもっている悪質で低IQな人を見分ける方法として、田舎差別を利用する考えでいる事になる。我々が魅力度差別に対して試行錯誤してきた事の全ても、同様の結論を指し示している。仮に我々がいかに宣伝に成功しても、日本人一般が都会のマスメディアから洗脳されやすい衆愚である限り、また天皇崇拝によって神道原理主義に支配されている限り、中華思想・華夷秩序の延長上に田舎差別が残ってしまうだろう。
 もし直接状況を変えたければ、皇居を茨城県内に移動させ、一人当たりかつ総合の県民所得・GDPで日本1位になり、人口も1位になる様にするのが、茨城が日本の都会人ないし日本人一般に受けているいわれなき差別の便宜的解消となる。他方で、これらが県内低IQ者をふやし、再び傲慢な差別を茨城から行うようではいけない。衆愚でも集めている東京に対して、相対的に賢明な人々を集める事が次善なのだろう。皇居を含め、政治都市として東京から政府関連機関を茨城にあつめる事、つまり茨城遷都をはかる方がいいのかもしれない。