2018年4月25日

茨城いじめゼロ化運動の方法論

 偏見とは、十分な根拠もなしに他人を悪く考えること。
 偏見は、誹謗、回避、差別、暴力、虐殺の各段階を辿って強化される。
 偏見を持ち易い人はIQが低い傾向にある。
 逆に、IQが高いといろんな角度から物を見て、偏見の矛盾に気づきやすい。
 いじめとは、偏見が強化されて虐殺にいたる一連の行動。

 上述の定義から、いじめが発生する確率が高いのはIQの低い集団と考えられる。そしていじめは誹謗、回避、差別、暴力、虐殺の各増長段階を経ても、偏見が解除されなかった場合に殺人に至る。これを解除するには、偏見あるいじめ集団に高IQまたは高EQ(共感知能が高く倫理的)な指導者が偏見を解除する対立意見を提出し、その立場が集団に偏見からくる迫害行動を防止する強制力を持つ必要がある。
 偏見を解除できるほど高IQかつ高EQな人物を総合して高知能と定義する。
 場を学校に限ると、学年やクラス、集団ごとに高知能な指導者の管理を導入する必要がある。つまり一般により賢い人、または倫理度の高い人をその集団で強制力をもつ指導者にする必要がある。したがって学年そのものをなくし、学習達成度に応じて全ての年齢を認め、学習達成度が低ければ留年で再学習する事を当然とし、又クラスを固定せず単位制にする事かつ学区含め学校、クラスを授業ごとに移動できる講義制を県内学校すべてに共通化するのが有益だ。或るクラスで最も高知能な人が指導者として偏見解除をくりかえせる立場に就けるよう、もし成績別で分ける際にも、最低でも高知能者が指導者に就ける必要があるが、成績混合クラスは底上げになる可能性もある一方、恐らく成績別クラスより最高学習達成度が低下する傾向になるだろうから、必要なのは集団学習を極力避けて、個人単位で学習達成度ごとに飛び級から留年までを学区・クラス・授業の制限なしに単位制・講義制で選択できる事である。
 これらに加え、いじめ発生率は京都が4年連続ワースト、福島が最上位(最も発生しづらい)で、いじめ格差約20倍と、いじめしやすい性質の性格因子が遺伝子か文化かいずれかにあると考えられ、特定のいじめしやすい生徒を発生次第厳しく罰する、または即座に集団から取り除き更生をはかる必要がある。つまり県・市条例においていじめを校内犯罪の一部として定義し、それ以上、他の生徒と混じらせず少年院で更生させる義務が教育委員会がわにある。この際、いじめについてはゼロ耐性が必須だと考えられる。なぜなら福島のいじめ発生率が極端に低いのは、そもそもいじめをしにくい性格の者が集まっているからだと思われるからだ。いじめしやすい脳、または文化は、京都で「イケズ」といわれる特有の陰湿な意地悪の行動形質に象徴されているのであって、この種の悪意ある攻撃性についてもゼロ耐性で校内犯罪を厳しく罰し、暴力を伴う以前に少年院に隔離し、未然防止の流れにする事で、いじめしづらい人が集団に生き残りやすくなり、茨城県・北茨城市も福島程度にいじめ発生率を次第に低下させることは可能だからだ。なお生徒だけでなくいじめをする教員も同様の校内犯罪の監視対象にしなければならない。

 また成人後の会社、或いは一般社会でも、偏見をもつ人は同様にいじめ行動をしていると考えられる。差別その他の憎悪表現は成人後にもいじめをする人が、偏見脳をもっている証拠である。IQが低いほど世界解釈を単純化し過ぎるため偏見を持ち易い以上、戦争も最も拡大した偏見の最悪の帰結だと結論できる。つまり世界から戦争含む差別、他者への害を減少させるには、結局、高知能な人を遺伝選択でふやし、生後は自由教育や科学的批判思考力の形成で脱偏見の癖をつけさせるしかないのだ。
 専ら茨城県・北茨城市の単位でこの目的を達成するには、高所得化をめざす大学院を含めた専門教育や、一般教養文化を奨励する必要がある。学歴またはIQは生涯所得と正に相関しているからだ。具体的には成人後の再学習も含め、ウェブ上で完結するものも含めた大学誘致・開設をはかり、高等教育・学術研究の普及と、それに伴う客観的幸福度に正に相関していると考えられる高所得化への産業高度化・高付加価値化をめざすべきである。