茨城県北芸術祭は県からみた県の為のいいかたであり、県外からみたとき、「茨城芸術祭」か、「茨城ビエンナーレ」という茨城自体と直接関連されるイメージづけの方が有効だといえる。ケンポクという名称が世界的にいくら有名になっても茨城県あるいは茨城という名義とは何の関連付けもされず、茨城の認知度はなんらあがらないことになるからだ。また、県北地区がメイン会場としても、これらの際の作品は茨城県の予算においてつくるものであるからには恒久展示のものに限定し、行えば行うほど福利的に一流の芸術作品が蓄財され、茨城県自体が美化されつづけ、茨城が世界一の芸術聖地となるようでなければならない。いいかえれば一時展示、インスタレーション、会期後に撤去といったかりそめのものへ予算を費やすことはすべて排除していくことが必要だ。
これらは芸術祭をやる場合の話であり、実際は、功利主義的には全ての人が幸福になることが行政の目的であるから、貧困層を支える、文化的生活保障の枠を広める、特に若年層への生活保障を確実にする事、県内での教育無償化の方が優先事項ではないだろうか。芸術祭は対外的な宣伝活動と云う目的に限定し、しかも世界一流の人々を招き、代表作品を県内に恒久展示してもらうということで十分ではないかとおもわれる。その際の最低基準は、高松宮殿下記念世界文化賞並びに建築の場合プリツカー賞を受賞ずみ、ということにするべきだろう。行政主導で新たな前衛作家を発掘する、ということは冒険的であったりニッチであったり、そもそも少数派であり、過去の潮流外にあり、既得権威や既得権益に反する場合が殆どだから、おそらく不可能だろうだからだ。