2016年10月29日

戦略論

 県庁は県政戦略室を設け、47都道府県並びに全世界の全ての国々のあらゆる情報を徹底的に調べ尽くし、且つ県外人を確実に情報操作する為に最適な方法を熟知し、適宜実行していなければならない。田中章雄の持っている情報は、真偽はさておき全利用するべきである。戦略室では全世界の情報をデータベース化し、いつでも参照できるようにした上で、全都道府県のあらゆる情報を常に収集する事に最適化しなければならない。
 茨城の情報を漏らすな。全都道府県並びに他国の全情報を熟知せよ。
 孔子「人の己を知らざるを憂えず」、孫子「彼を知り己を知れば百戦危うからず」、どちらも情報の非対称性が有徳である事を示し、茨城は既に自然的ステルス性によって最適条件にあるため更にこの状態を強化していくよう進まねばならない。情報発信ではなく情報隠蔽と操作が必要であり、県民に対してのみ真実を知りうるようにしなければならない。
 又、わが県政の目的は県民が世界一幸福な地域に暮らしうることだ。そして県外にはこの事情を意図的に情報操作し、撹乱させ、わが県に都合よく誤解させるほどよい。もしわが県が幸福だと知ったとしても、県外人はひたすら誹謗中傷、侮辱、名誉毀損をねたみと確証偏見によって重ねてくるだけだ。従って孔子・孫子の情報非対称説通り、県外人に一切情報を知られない方が優れている。万一、わが県の真相を知り褒賞してきた人がいたとしても、それは相手が我々と同等以上の次元で思考している可能性がある限り、まこと恐るべき事である。その場合、ひたすら謙虚にし、褒賞してきた側についての意図の分析をはじめねばならない。


2016年10月23日

長短について

 欠点は長所であり、長所は欠点である。関東北部は関西人の観光地化しないがゆえに、関西人にけがされづらく、外来者が少ない為に平穏無事なのである。観光地化している京都や北海道、沖縄は、一見して魅力があると思われて長所におもえるが、外国人を含めてあらゆる外部人が日常的に町を歩いている為に警備も不安で、心休まることがない。つまり住む人の幸福という観点からみたら、魅力がないと外部者に思われているほうが合理的なのである。限られた真の観光客は、寧ろ観光地化していない日常のある地域にこそ魅力を感じることだろう。
 欠点が多いほど、それは目立ちにくくなる。むしろ目立った長所によって、その人は特徴づけられる。その上、欠点は人が愛される資格である。


2016年10月22日

茨城の地

県外人に好かれるより
茨城人にとって幸福で美しい町をつくろう
県外人に観光地化されるより
茨城人にとって居心地と趣味のよい社会をつくろう
県外人が何もしらないとしても
茨城人はただ謙遜していよう
県外人がそしってきたとしても
茨城人は高貴なる位にとどまろう
人から知られることなく呑気に構え
良い所を知り至善にとどまれ
最高の地を知らない人々に隠すがいい
誰からも知られるな
ひとり神のみ常陸にきたりて
常世の国にとどまれる


2016年10月20日

茨城芸術祭戦略

 今後のわが県わが市の戦略は、県北芸術祭を端緒として茨城芸術祭を中心に、世界で最も芸術的な県、市としての地位を確固たるものにしていくことだ。この大目的は日本人、日本国民、わけても西日本人や西日本が低俗な人々であることを背理法的に証明していくことになり、単に我々自身が芸術上の工学と趣味で世界で最も優れた県民市民となるだけで、田中章雄と西日本、そして商業社会である東京都がいかに野蛮で高貴な芸術に理解がない悪趣味な人々であるかを実証できる。ハイアート、ハイカルチャーといったハイブローな世界は茨城が得意としてきた分野であり、むしろ大衆からの無理解こそが評価しない者の低俗さを証左し、自らの高尚さを示すという点で真価を発揮する。
 五浦美術館、水戸芸術館、日立シビックセンター、近代美術館を基本とし、笠間日動美術館、笠間陶芸美術館、しもだて美術館をまきこんで、芸術祭にあたって期間を長期化した応募者全員展示を可能とし、インターネット上にも美術品一切の応募者全作品を展示、鑑賞者の投票制として来場者賞を設けるべきだ。またこの際、半匿名表記も可能にしたうえで作者に感想を届ける制度を作ることで創作側の意欲をつくりだし、最優秀作品を県が買い上げ公共施設に展示、展覧会後の作品販売を民営化した外部委託業者に代行することで県内市内に芸術家の生活する余地をより多くつくりあげるべきである。

2016年10月19日

北茨城グラフィティスペース案

 落書き文化、グラフィティを一つの絵画芸術の様式と行政は認め、落書き自由な壁面スペースを、高架下や地下空間、或いは公的空間につくるべきである。図書館と駅をつなぐ線路下の空間などは落書きを消されてしまったが、むしろ自由に描いていいスペース、無償の装飾空間として行政が許可をだすことで、芸術的表現を可能にするべきである。

2016年10月18日

極東史

極東の概略史
1.30000年以上前から、日本列島に最初に暮らしていたのは純日本人であるアイヌ・沖縄・縄文人(Y染色体ハプログループD)であり、70000年前頃に他集団から分化している。
2.約8000年前頃に、朝鮮半島にもこの縄文人系統の民族が暮らしていた。
3.約7000年前頃に、鬼界カルデラの火山噴火で、西日本側の縄文人はほぼ絶滅した。
4.約2800年前頃から、中国の江南地方あたりから、天皇の先祖を含むであろう弥生人(Y染色体ハプログループO1b2)達がほぼ無人だった西日本に、朝鮮半島を経由しながら移民してきた。
5.約1300年前頃までに、朝鮮半島に弥生人達は定住しており、内紛によって新羅のみが残り、その他の百済・任那・高麗の弥生人達は西日本側に亡命してきて、一部が関西地方の奈良で天皇と共にヤマト王朝と名乗った。
6.約150年前頃までに、弥生人の末裔としての天皇は、縄文人の末裔と考えられる徳川がそれまでに統一していた日本の全領土を奪い、アイヌの暮らす北海道や沖縄の領土までを手にした。
7.約70年前頃、天皇ら弥生人の末裔は朝鮮半島に再び侵入し、中国の江南地方あたりを含めかつて暮らしていた界隈に領土を拡張したが、アメリカによって阻止され、再び日本列島のみに領土が限定された。

天皇と日本人について
 天皇や弥生人は、遺伝的共通性のあるY染色体O1b2の広まり方からみて、中国江南地方界隈に北アジアから降りてきたある集団が、狭い海峡だった朝鮮半島を主に経由して西日本に入ってきたものであって、仮に直接船で中国江南地方から西日本に入ってきたとしても、その集団は朝鮮半島に現在いる集団との遺伝的距離はほぼ近接している。この際の水稲の技術の伝播については、彼らに付属しているものだといえる。いいかえれば、中国江南界隈から朝鮮半島に留まった人々と、そこを経由するかまたは直接西日本に入ってきた北アジア人の集団が2800年前までにあったということだろう。この人たちの末裔から、天皇が奈良で王朝を作ることになった。それが1300年前頃のヤマト王朝と呼ばれているもの。この王朝はご存知のように、全国各地の縄文人、九州の弥生人などを未開人もしくは異民族とみなし、先住民族の権利を弾圧し、その歴史文化を証拠湮滅しながら徴税を義務づけていった。そして今の天皇家に至る。
 アイヌや、沖縄人、縄文人といった最低でも30000年以上の歴史がある純日本人に比べ、天皇は実質1300年の歴史しかない、新参者の転入生である。そういう意味で皇族も旧華族も新参者の弥生人文化。所詮2800年前頃に中国から朝鮮半島経由で入ってきた侵略者だから、底が浅い。
 神道とは、中国江南から朝鮮経由で2800年前までに移民してきた弥生人である天皇が日本古来の土着信仰である自然崇拝を大陸風の多神教で覆い隠した洗脳。時期的には1300年前(700年代)頃から始まった奈良地方発の新興宗教。目的は純日本人に天皇の先祖と天皇を崇拝させる事。天皇は中国江南から朝鮮経由で入ってきた北アジア人として、南アジア人の暮らす純日本人空間に入ってきて、日本人を奴隷化する際、その純日本人たちが信仰していた自然を偶像化した。このやり方は、中国や大陸側で普通だった多神教の手段をとったもので、それが~ミコトだのといった人間の姿をとった人格神の概念だった。そして天皇は奈良から洗脳部隊を派遣して、日本各地の民間信仰を偶像化で天皇の祖先だと誤認させる宗教改造をはじめた。その拠点が神社。大体1300年前からはじまったこの新興宗教は、今日、神道といわれている。
 2800年前~1300年前(前784~716年)頃に帰化した天皇の男系遺伝子、天皇家は神武天皇の即位年である前660年から始まったと神道側はしている。なお天皇とは、中国神話における三皇の一であり、中国神話の物真似、模倣そのものであって、全く独創ではないどころか、中国思想そのものに過ぎず日本のものではない。その名義は中国から侵略してきた非日本人としての天皇家を物語る。

2016年10月6日

茨城芸術祭への名称変更と、恒久展示限定論

 茨城県北芸術祭は県からみた県の為のいいかたであり、県外からみたとき、「茨城芸術祭」か、「茨城ビエンナーレ」という茨城自体と直接関連されるイメージづけの方が有効だといえる。ケンポクという名称が世界的にいくら有名になっても茨城県あるいは茨城という名義とは何の関連付けもされず、茨城の認知度はなんらあがらないことになるからだ。また、県北地区がメイン会場としても、これらの際の作品は茨城県の予算においてつくるものであるからには恒久展示のものに限定し、行えば行うほど福利的に一流の芸術作品が蓄財され、茨城県自体が美化されつづけ、茨城が世界一の芸術聖地となるようでなければならない。いいかえれば一時展示、インスタレーション、会期後に撤去といったかりそめのものへ予算を費やすことはすべて排除していくことが必要だ。
 これらは芸術祭をやる場合の話であり、実際は、功利主義的には全ての人が幸福になることが行政の目的であるから、貧困層を支える、文化的生活保障の枠を広める、特に若年層への生活保障を確実にする事、県内での教育無償化の方が優先事項ではないだろうか。芸術祭は対外的な宣伝活動と云う目的に限定し、しかも世界一流の人々を招き、代表作品を県内に恒久展示してもらうということで十分ではないかとおもわれる。その際の最低基準は、高松宮殿下記念世界文化賞並びに建築の場合プリツカー賞を受賞ずみ、ということにするべきだろう。行政主導で新たな前衛作家を発掘する、ということは冒険的であったりニッチであったり、そもそも少数派であり、過去の潮流外にあり、既得権威や既得権益に反する場合が殆どだから、おそらく不可能だろうだからだ。


2016年10月5日

妹島氏への県内交通機関の設計依頼案

http://www.seibu-group.co.jp/railways/news/news-release/2015/__icsFiles/afieldfile/2016/03/14/20160314shingatatokkyu.pdf

 妹島和代氏デザインの西武鉄道新型車両。車両自体が一つの芸術作品であるというべきだろう。
 茨城県の芸術化を促進するべく、スーパーひたちの系列車両や、茨城交通のバス等の県内交通機関も、茨城県専従建築家として指定した妹島氏に、全面的に設計依頼するべきである。