2016年8月23日

産業循環論及び常陸国産業永続論

 人は農業国では善良になり、工業国では勤勉になり、商業国では不幸になる。国は農工商の段階で発展し滅亡に至る。これらは国民の行う第一次、第二次、第三次の産業比率で理解できる。商業化が進んだ国は民同士が競争的、即ち共食い的な相互害他をはじめ、滅び去る。滅びた国と対照的に、農業力の強まった国は土地生産性、人口支持力が高いままであり、民の資質は食料の過剰生産分を慈恵しうるだけ利他的になる。またこの次に暮らしに余裕を持つに至った民による技術革新によって工業化が進むと、経済成長率が高まり、民の生活は道具面で目に見えて向上する。工業化の激しい段階では潜在的経済成長率の為に民はますます勤勉になる誘引をもつ。他方、土地の工場転換により農業力が次第に弱まるとき、技術革新の速度は余裕の逓減と利益についての工業上の特化率の為に緩まる。この特定の道具についての工業化の末期において利益追求が始まると、次第に工業内部から販売効率を求め商業化する。次第に利益に関する効率の追求は奉仕産業(サービス産業)へ転換を促し、商業化が末期に至ると物品の交換を離れ奉仕産業のみで利益を最高効率化しようと図る。情報産業それ自体は商業ではなく、交換する物品としての資料(データ)の塊の生産と頒布は工業に該当する。虚業と呼ばれる各種の産業の内、情報を入れて日用品、便宜品、贅沢品を含む物品の交換に該当しないものが、本来の人的奉仕産業である。虚業にあっては金儲け、マネーゲームと呼ばれる様、金銭の交換のみから差額を占めようとする株取引、為替取引、金貸しなどの傾向が現れ、いわゆる金利生活者が登場するが、彼らが産業の極相であり、いわば腐敗した産業人となる。即ち金利生活者が多数化するに従って過当競争的となった末期商業市場では利益の奪い合いのみが集団極性化し、働くほど貧しくなるという搾取の拡大が際限なく広まっていく。こうして商業国では人口支持力の減退と出生率の急減、即ち滅亡が始まり、最終的には自然消滅するか、近隣の農工業国から分割割譲ないし編入支配されるに至る。侵略戦争が生じるのは商業化の過剰段階で独裁者(僭主)が当人の蓄財した富を維持拡張する為、衆愚の不満を対外敵意にむけかえる目的による。殖民地侵略も同様の意図で、僭主か寡頭者によるものである。衆愚あるいは民衆の敵意は内政に向けられれば革命か、外政に向けられれば戦争となる。対外戦争で勝利したとしても国富は争いに乱費され、当国の商業的な不利さは改善されない。他国の軍需で漁夫の利を得た場合も、凡そ一時的なものにすぎず自国の民の生活に由来した産業構造を抜本的にかえるに至らない為、却って他国依存が進み政治は不自由となる。防衛戦争を行う事も国富の乱費をもたらす上に、戦争という最も不幸な状況を招来する為、極力行わない方が商業上に有利である。これらの国の末期症状は商業化の腐敗によるものであり、当国の政治の行き詰まりで生じる。
 以上にあげた産業循環論は、国を常陸国にあてはめるか、県あるいは市等のより小さな単位に、もしくは地球という巨視的な単位におきかえることもできる。この循環としての産業の見方はマルクス唯物史観とは別の立場から産業についての分析を可能とする枠組みで、厳密にマクロ経済学なものというよりは社会学的な産業解釈の一方法と考えてほしい。なぜなら微視的には常に反例が生じるだろうからだ。
 上述の循環をわが県茨城あるいは常陸国にあてはめると、農工両全のわが県に商業化が進んでしまうと単純に滅亡する、と解釈するのが自然だろう。しかし改良法がある。県内の市の単位またはそれ以下の単位に、それぞれ農業力の高い単位を常に確保しながら、循環を続けさせる事である。即ち茨城県内の各市の産業上の特化率、つまり第一次、第二次、第三次の各段階をそれぞれずらしたままで県内産業を展開させて行くことである。具体的な例としては水戸市、土浦市が商業化の最も進んだ市であるなら、日立市、つくば市、鹿島市を工業市として維持させ、決して商業化を満遍なく行う愚策をとらないことである。また商業市や工業市が存在している状態でも、農業市を軽視せず寧ろ強化する様に導く事でもある。具体例としては小美玉市、常陸太田市、稲敷市を農業市として特区の様に優遇し、全体が工商に傾かないよう人口扶養の源泉として虫食い式に浸食させない事である。この観点からみれば、東京都、神奈川県、大阪府、京都府、といった農業の極小化した商業県が漸次滅亡に向かい、他県にとって反面教師である事が理解できる。またわが県にあっては義公以来の農業重視政策を維持促進する事が、続けて起きる技術革新の余裕を支持し、功を奏するとわかる。
 単に県にあってのみでなく北茨城市にあっても同様である。磯原の商業化は極相に至り、自動車化(motorization)によって中郷地区の商業化が虫食い式に進行しているが、この中郷地区は広大な農地だった。つまりこれらは大規模小売店舗立地法の撤廃(2000年6月森内閣下)に起因した商業への傾斜に過ぎない。即ち市政にあっては寧ろ農業特区としての関南、石岡、華川などの市内面積の維持確保および農業奨励によって食糧生産による人口支持力の維持の方が重大で、第二次、第三次産業への既往の就業人口比の偏りをなるだけ修正するべきなのである。こうして産業の循環は、商業極相に至る領域を限定し、しかも農業生産力の高い領域を促進し続ける知恵と対策によって産業の永続へと転換できる。他方で、当国単位の対外経済としては専業特化率が中程度に高い場合が最高利率なのも事実であるから、経済効率に基づいて、自由市場下では半ば自生的に産業特化が進みやすい。つまり、政治的な意図に基づいた巨視的な法統制、法秩序化、領域分限の政策が、維持する国、永続国の目安かつ路程標になる。自由主義、新自由主義その他リバタリアニズム等の経済至上主義はここにあって理論的な限界があるということだ。それは特化率の過度によって維持できない国やモノカルチャーを生じさせ、商業国の退廃と滅亡を見越していない事によるのだ。奈良県は平城京の頃、大和国として最も商業化の進んだ地域だったが、近年では1人あたり県内総生産が47位である(2010年度内閣府の国民経済計算)。この1位から47位へという劇的な変遷、この1300年の奈良の盛衰は、産業循環の見方によれば特化率の過度による必然とみなせ、近年に至っても1人あたり農業生産力は38位、総数で45位である為、大仏商法による衰微は続くと予想できる(2010年度農林水産省の生産農業所得統計)。