以上にあげた産業循環論は、国を常陸国にあてはめるか、県あるいは市等のより小さな単位に、もしくは地球という巨視的な単位におきかえることもできる。この循環としての産業の見方はマルクス唯物史観とは別の立場から産業についての分析を可能とする枠組みで、厳密にマクロ経済学なものというよりは社会学的な産業解釈の一方法と考えてほしい。なぜなら微視的には常に反例が生じるだろうからだ。
上述の循環をわが県茨城あるいは常陸国にあてはめると、農工両全のわが県に商業化が進んでしまうと単純に滅亡する、と解釈するのが自然だろう。しかし改良法がある。県内の市の単位またはそれ以下の単位に、それぞれ農業力の高い単位を常に確保しながら、循環を続けさせる事である。即ち茨城県内の各市の産業上の特化率、つまり第一次、第二次、第三次の各段階をそれぞれずらしたままで県内産業を展開させて行くことである。具体的な例としては水戸市、土浦市が商業化の最も進んだ市であるなら、日立市、つくば市、鹿島市を工業市として維持させ、決して商業化を満遍なく行う愚策をとらないことである。また商業市や工業市が存在している状態でも、農業市を軽視せず寧ろ強化する様に導く事でもある。具体例としては小美玉市、常陸太田市、稲敷市を農業市として特区の様に優遇し、全体が工商に傾かないよう人口扶養の源泉として虫食い式に浸食させない事である。この観点からみれば、東京都、神奈川県、大阪府、京都府、といった農業の極小化した商業県が漸次滅亡に向かい、他県にとって反面教師である事が理解できる。またわが県にあっては義公以来の農業重視政策を維持促進する事が、続けて起きる技術革新の余裕を支持し、功を奏するとわかる。
単に県にあってのみでなく北茨城市にあっても同様である。磯原の商業化は極相に至り、自動車化(motorization)によって中郷地区の商業化が虫食い式に進行しているが、この中郷地区は広大な農地だった。つまりこれらは大規模小売店舗立地法の撤廃(2000年6月森内閣下)に起因した商業への傾斜に過ぎない。即ち市政にあっては寧ろ農業特区としての関南、石岡、華川などの市内面積の維持確保および農業奨励によって食糧生産による人口支持力の維持の方が重大で、第二次、第三次産業への既往の就業人口比の偏りをなるだけ修正するべきなのである。こうして産業の循環は、商業極相に至る領域を限定し、しかも農業生産力の高い領域を促進し続ける知恵と対策によって産業の永続へと転換できる。他方で、当国単位の対外経済としては専業特化率が中程度に高い場合が最高利率なのも事実であるから、経済効率に基づいて、自由市場下では半ば自生的に産業特化が進みやすい。つまり、政治的な意図に基づいた巨視的な法統制、法秩序化、領域分限の政策が、維持する国、永続国の目安かつ路程標になる。自由主義、新自由主義その他リバタリアニズム等の経済至上主義はここにあって理論的な限界があるということだ。それは特化率の過度によって維持できない国やモノカルチャーを生じさせ、商業国の退廃と滅亡を見越していない事によるのだ。奈良県は平城京の頃、大和国として最も商業化の進んだ地域だったが、近年では1人あたり県内総生産が47位である(2010年度内閣府の国民経済計算)。この1位から47位へという劇的な変遷、この1300年の奈良の盛衰は、産業循環の見方によれば特化率の過度による必然とみなせ、近年に至っても1人あたり農業生産力は38位、総数で45位である為、大仏商法による衰微は続くと予想できる(2010年度農林水産省の生産農業所得統計)。