鈴木雄介
青森の高校を卒業後、ひとり、蒸気機関車の夜行列車に揺られてきた。早朝、福島の平駅(現いわき駅)付近で車掌に起こされた。「次は水戸ですよ」。外を見ると、地吹雪だった青森とは別世界。きれいな海岸線に田園風景。新生活への不安と故郷を離れた寂しさが重なり、涙ぐんで車窓を見続けた。18歳だった。 学生服に長靴姿で降り立った水戸駅。右も左も分からない中、茨城弁のおばあさんにバス停まで案内してもらった。勝田市(現ひたちなか市)市毛(いちげ)の日立製作所の寮では、全国から来た先輩たちと共同生活。休日には、県内出身の同僚から「俺の実家に行くべ」と誘われ、家庭料理に涙した。5年後、縁あって日立市出身の娘と結婚、3人の子供に恵まれた。多くの人に支えられ、ますます茨城が好きになった。 今でも生粋の茨城県人に囲まれ、働かせてもらっている。なぜ、本県が魅力度ランキングで最下位なのだろう。美しい山や川、何よりも優しい人たちがたくさんいるではないか。そう心の中で叫んでいる。(茨城県日立市 会社役員 豊田修造 65歳)――『茨城新聞』2017年4月8日、23面、県民の声